本 · こころ
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著者: 夏目漱石
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その花はまた規則正しく凋れる頃になると活け更えられるのです。琴も度々鍵の手に折れ曲がった筋違の室に運び去られるのです。私は自分の居
間で机の上に頬杖を突きながら、その琴の音を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解らないのです。けれども余り込み入
った手を弾かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分
るのですが、お嬢さんは決して旨い方ではなかったのです。
それでも臆面なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶もついぞ変った例がありません
でした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向肉声を聞かせないのです。唄わないのではあ
りませんが、まるで内所話でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。
私は喜んでこの下手な活花を眺めては、まずそうな琴の音に耳を傾けました。
「私の気分は国を立つ時すでに厭世的になっていました。他は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染み込んでしまったように
思われたのです。私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他の親戚だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ
隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱
でした。鉛を呑んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖ってしまったのです。
私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気に
もなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似はしなかったでしょう。
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